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10年以上前になるが、国産のオールド・カー、俗にいう「旧車」にハマっていた。
旧車の定義はさまざまだが、一般に国産車が「外国車」のコピーから抜け出て高度経済成長の波に乗り、「販売のトヨタ」と「技術の日産」が真っ向からぶつかりあっていた頃の車を指す。 いわば日本車がグーンと伸びて行った時期だが、やがて「排ガス規制」により「牙」を抜かれた頃から、尖った個性的な車は少なくなっていき、旧車の黄金時代は終焉を迎える。 さて、当時(今もあると思うが)旧車の専門誌が2種、発売されていた。「Nostalgic Hero」そして「Old-timer」だ。隔月刊のこの雑誌を管理人は毎号買っていて、「いつかは旧車に乗りたい」と思いながらカー・ショップの広告を眺めていた。 そしていつしか、実物を見に県内や県外のショップに遠征したりするようにもなる。たったの「197台」しか生産されていない幻の名車、KPGC110つまり「ケンメリのGT-R」を見た時は感動したものだ(と、言ってもカバーを掛けられていてほとんど見えなかったが)。 好きな車はいくつかあったが、しばらくして日産の「510ブルーバード」にターゲットを定めた。「ダットサン」の系譜に連なる伝統の車で、ブルーバードの名前が付いてから3代目のモデルだ。ライバルはモチロン、「トヨペット・コロナ」だ。「BC(ブル、コロナ)戦争」と呼ばれて、熾烈な争いを繰り広げた。 ものすごく乱暴に両車の特徴を挙げると、「革新的なメカニズムを取り入れ、見た目よりもファン・トゥ・ドライブを追求、軽量級」のブル、「デラックスな装備、見た目の豪華さ、お買い得感」のコロナだ。 そして結局軍配はトヨタに上がり、販売数で差を付けられることになる。そしてこの争いはサニー vs カローラに引き継がれていくわけだ。 ところで、「旧車」と呼ばれてコレクションの対象になるのは、その車種の全てのグレードではない。 いわゆる「スポーツモデル」要するに「速いヤツ」だ。その車が新車で発売されていた当時、普通の使用者は「スタンダード」や「デラックス」などのグレードを買う。モチロン、タクシーも然りだ。 しかし、「スポーツモデル」は違う。カナリ違う。 まず、エンジンが違う。排気量は増え、パワーが上がり、それに耐えられるパーツ、足回りも強化。シフトもコラム・シフト(ハンドルの付け根の所から生えているシフト)からフロア・シフトになり、シートもベンチ・シートからセパレートになり、バケット・タイプのモノが付く。タコ・メーターなど、計器類も増える。 そして、なによりも違うのは「値段」だ。 当時の若者もモチロン、スポーツモデルが欲しかったが、まだまだ車の価格は現在の基準とくらべても高価であった。さらに、まだまだローン(当時は「月賦」)も一般的ではない時代である。そこで、エンブレムやステッカー、外装パーツでスポーツモデルを装うなど、涙ぐましい努力をしていた。 510ブルーバードの思い出〈購入編〉に続く PR |
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シャンソンの国、フランス。
日本でもさまざまな曲がヒットした。 ミッシェル・ポルナレフは未だにファンが多い。 管理人は、このシングル盤を所有している。 ウルトラマンの「バルタン星人」は、この人の名前から付けられたという説は本当なのだろうか? この映画のサントラ盤も持ってた。 カワイイ。 |
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昨日のブログでもチラッと触れたが、サイモン&ガーファンクル、そしてビートルズなどの初期(つまり60年代前半)のアルバムの収録時間は短い。
そもそも曲自体が短く、ほとんどの曲が2〜3分である。このあたりのアルバムは、60分のカセットテープにアルバム2枚分録音できたものだ。 アナログレコード時代、日本ではビートルズのアルバムは「英国オリジナル盤」「アメリカ編集盤」そして「日本編集盤」があった。これは「輸入盤」ではなく、それぞれの「日本盤」が東芝から出ていたわけである。 なかなかに、ややこしい状態であった(シングル版も同じ)。 CD時代になるころに英国盤以外は廃盤となり、整理されていったわけだが、コレクターは大変だったであろう。さらにビートルズの場合、いわゆるbootlegが気の遠くなるような枚数出されており、しかも他のアーティストとは違いカナリ堂々と(テープにコピーされたカタチで)販売されていた。 管理人も「バージョン違い」には興味があったが、さすがにbootlegまでは手を出さなかった。 当時、ビートルズの英国盤の収録曲数は基本的に片面7曲の計「14曲」である。 しかし、アメリカという国は、なぜか理由は分からないが「アルバムの曲数は12曲」という、慣例があったらしい。よってビートルズのアルバムは(他にも理由はあるだろうが)アメリカではバラバラに組み替えられて発売されたわけだ。(けなしているようだが、アメリカ編集盤にも「マジカル・ミステリー・ツアー」という大名盤があることを忘れてはならない) 管理人は基本英国盤派で、アメリカ編集盤はほとんど買っていないのだが、考えてみれば2〜3分の曲が12曲、ということはアルバムの収録時間がわずか25分くらい。これはアッという間だ。さすがに、ちょっと割高感を感じる。 たしかに「レコード盤」の場合だとそれなりの質感や所有感があるのだが、同時に発売されていた「ミュージック・テープ版」だと、片面13分くらいの非常に短いテープになってしまい、値段は同じ2500円である。 なんだかセコい話になってしまったが、管理人が言いたいのは 曲は、長ければ良いというワケではない。 と、言うことだ。 昔の短い曲は、あっという間に終わってしまうので「もう一回聴こう」という気にもなるが、最近の曲はなんとなく「必然性のない長さ」になっているような気がする。 1コーラスがもともと長い曲もあるが、気になるのは「編曲」で、やたらと長いイントロ、そして間奏。最近の曲はカラオケで歌うときに「間が持たない」と思っている人も多いのではなかろうか? 80〜90年代の洋楽では多かったが、シングル・バージョンは3分程度にして、アルバムにはロング・バージョンを入れる、というのは良いと思う。 シングルはやっぱり、短くスカッと聴ける曲が好きだ。 |
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キング・オブ音楽メディアは?その1
キング・オブ音楽メディアは?その2 現在はさまざまな音楽メディアがありますが、私に取ってのベースはカセットテープ、コンパクトディスクそしてアナログレコードの3種です。 その1で取り上げたカセットテープ。前回はFMのエアチェックに使っていたことを語りましたが、私がが本格的なコンポを組める身分になった時も、まだまだカセットデッキは重要なポジションを占めていました。 初めて単体のコンポを組んだ時、結果的にメーカーはバラバラになってしまったのですが、デッキは結局ソニーに落ちつきました。AKAIとかTEACあたりと比較したのですが・・・コンポの話はまた改めて語ることにします。 一般的にカセットと言えばコンパクト・カセットのことを指しますが、親戚にはケースに入っていないオープンリール・テープ、マイクロ・カセット、8トラックなどがいます。 その2ではCDのことを少し語りました。CDにもMD(ミニ・ディスク)という弟分が居ますが、発表当時から私にとってはあまり馴染みのないものでした。確かに、CDの多機能とカセットのコンパクトさを兼ね備えた「録音できるCD」は画期的だったとは思います。 フルスペックのCDに対して、MDは人間の可聴帯域以外の音を省いている、という話もありました。 今でこそ圧縮された音源が当たり前になっているとはいえ、当時はそのあたりの、「CDと比較して音がどうのこうの・・・」という議論もあったと思います。 私も今なら、「人間に聞こえない音入れてもしょうがないじゃん!」と言うと思いますが・・・。 MDを開発したソニーは、自社のアーティストのアルバムをMD化したソフトを多数、発売しました。カーステレオのデッキやMDウォークマンも発売されましたが、今となってはどうもCD、カセットから「メモリー」への橋渡し的なメディアだったような気がしています。 さてさて、いよいよレコードの話です。 まずはじめにひと言。 音質のことは忘れてください(笑)。 私がレコードのことで思い出すのは、「匂い」「手触り」など、音とは別のことばかりです。 匂いは、レコード盤自体のビニールの匂いもあるのですが、忘れてはならないのが「レコードスプレー」です。スプレーは、「使わない方が良い」派も居たが、私は使っていました。 レコードを片手に持ち、スプレーをシュッとかけて、クリーナーブラシでサッと拭く。拭き取りは、ターンテーブルにレコードを乗せてからでも良い。 この習慣は、放送部にいた経験から来たものかもしれません。 「レコードは財産として大切に扱うもの」、という気持ちです。 そしてレコード針も専用のクリーナー液とブラシで掃除をします。レコードにはこういった儀式が必要であり、これは管理人がかつてオートチョークでない自動車に乗っていたときの、始動するにあたっての一連の操作に通じるものがあります。 管理人の「クラシックカー」趣味についてはまた、別の機会に語りましょう。 そしてレコードを聞くにあたって最大のイベント、それはなんと言っても ひっくり返す と、言うことです。 ここで肉体的な動作をすることによって、音楽を聴く上での中だるみを防止して、「さあ、後半戦突入だ」と、仕切り直しをするわけです。 そしてアーティストのほうもアナログ時代は、アルバムのA面、B面の流れを考えた製作をしていました。昔のアルバムには1曲目と最後の曲が2回あったわけですから、今よりも悩んで製作していたことと思います。 これまで、カセット、CD、レコードのなかで、どれがいちばん優れたメディアかということを考えてきたわけですが、そろそろ結論を出すとしましょう。 それぞれに素晴らしい長所を持っているわけですが、カセットの手軽さ、CDの便利さ、レコードの楽しさ、これら全ての長所をあわせ持ったメディアが・・・ これから出てくるでしょう。 未来に夢を託して・・・ |
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趣味の王様の称号を与えられるものは、その時代によって変わると思います。
しかし私にとって言えば、それは間違いなく「切手収集」です。 切手収集は、小学生だった私が初めて持った本格的な趣味でした。 当時出ていたスタンプクラブという切手趣味の雑誌(大人向けには「郵趣」という雑誌がありました)も定期購読していたし、もちろん切手用の先端が尖っていないピンセットや、ストックブック(切手用のアルバム)も揃えていました。 そして年数回発行される切手カタログを見ては、「あの切手は今いくらで・・・」などという楽しい妄想にふけっていたものです。 実際の収集活動はと言うと、 1、新発行の(記念)切手をおさえる これは基本でしょう。雑誌を見て発行日をチェックして郵便局に買いに行くのですが、人気のあるものは早々に売り切れてしまい、買えない時もありました。 そんな時は、近所のタバコ屋さんを当たってみると案外置いてあったりしたものです。今のコンビニは、記念切手は置いてないだろうな・・・。 当然、お金のない小学生です。買うといっても1〜2枚なので、お店の人もめんどくさかったことでしょう。 私が熱心にやっているのに影響されて友人も何人か切手収集を始めたのですがが、しばらくしてその子の家に遊びに行き、コレクションを見せてもらった私は唖然。 新発行の記念切手が、シート単位でコレクションされているのです。 「シート」とは、切り離していないまっさらな状態の切手です。切手によって、1シートの切手の枚数は10枚〜100枚とさまざまです。 その友人の場合はどうやら親が協力してくれていて、新しい切手が出たらシートで買ってくれるらしいのです。そのとき私は、 「趣味に対する情熱は、単純な財力に負ける」 という法則に気付くことができました。友人に感謝したいです。 ちなみに、私ががシートで購入できたのは、1円切手の「前島密(100枚で100円)」、2円切手の「秋田犬(100枚で200円)」くらいなのでした・・・。 2、古い切手をしとめる 外国のカラフルでお求めやすい価格の切手もいいですが、やはりメインは日本の切手。 発行された時代にタイムスリップできる古い切手は、高価だけどロマンに溢れています。 高価と言ってもまさにピンキリですが、ピンにあたるのは切手の王様、趣味週間の「月に雁」そして「見返り美人」でした。 いま、これらの切手の価値がどうなっているかは知りません。 しかし当時、この二つは高嶺の花で、使用済み(むしろ、使用済みの方が珍しいかもしれません)でさえ、とても手が出るものではありませんでした。 絵柄が美しいのと、発行部数が少ないのが高価の理由だったのでしょうか。 ある時、デパートの展示販売会かなにかで、ショーケースに入ったこの切手の5枚シートを見た時は、感動に目が眩んだものです。 おそらく、明治時代の「竜切手」なんかは、これらよりもっと高価なのもあるのでしょうが、やはり「月雁」「見返り」はひとつのシンボルでしょう。 キリと言っては失礼ですが、数百円単位で買える戦前の切手もありました。 大きめサイズの「国立、国定公園シリーズ」や、「国民体育大会シリーズ」などが好きでした。 シリーズ物以外でお気に入りは、これは戦後ですが「ラジオ体操50周年記念」という可愛い絵柄の切手で、新品で持っていました。 あと、戦争中の切手は当時の資源不足のために紙質は悪くなり、裏に糊もなく、目打ち(切り離すための小さな穴)もありません。これらのことで、歴史を肌で学ぶこともできました。 この時期の「乃木大将」の切手を持っていました。 3、とにかく集める お金を出して買うばかりではありません。 家に配達されてきた手紙に、ちょっと珍しい切手が貼ってあることがあります。そんな時は切手の周囲を5ミリくらい残して封筒から切り取り、水につけておきます。しばらくしてきれいに剥がれたら、裏返して置いて乾燥させます。これで立派な「使用済み切手」の出来上がり。 そう、切手とは、中古でも値が付くものなのです。 切手カタログには、ちゃんと新品と使用済みの両方の値段が掲載されています。 そして肝心なのは、だからといって 「売るために集めているのではない」 と、いうことです。 さらにさらに、集めるだけでなく、雑誌などで切手の歴史などの知識を勉強するのも大事だし、さらに切手本体だけでなく消印や切手が貼られた昔の封筒までが趣味の対象になってきます。 しかし、私の切手収集はそこまで深いところに行かずに終わってしまいました。 このころの熱心さを忘れずに、これからも探究心を持って物事に臨んでいきたいです。 |
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