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これを書いている現在、まだ放送中なのですが、
「火曜エンタテイメント 昔の人はスゴかった!!歴史のおかげですグランプリ2」という番組について。 ロケ中心の番組で、進行役の石原良純さんがアナウンサーの女性と二人で町を歩きながら進行役をつとめています。 夕食を食べながらのんびり見ていたのですが、 「電気の街、秋葉原が生まれたのは材木商のおかげ!」 「歌舞伎が現在、残っているのは遠山の金さんのおかげ!」 などといった「歴史うんちく話」のオンパレード。 再現ドラマが妙に凝っていて、江戸時代の町のロケなどもなかなかきちんと撮影しています。もっとも、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」のようなリアリティあふれる映像ではありませんが・・・。 龍馬といえば、この番組のテーマのひとつ、 「写真があるのは、坂本龍馬と上野彦馬のおかげ!」が今日の主題です。 写真界の賞のひとつ「上野彦馬賞」にも名を残す幕末〜明治のカメラマン、上野彦馬。 写真をやっている私は放送されたエピーソードは大まかに知ってはいましたが、あらためて見てみましょう。 とにかく日本最初のプロカメラマンであり、日本最初の営業写真スタジオを作った人です。舞台は長崎。 洋書で「ホトガラ」なるモノを知った彦馬は、一から書物を頼りに写真機を作った、と紹介されていましたが、特に現像に使う薬品の入手には苦労したようです。 それにしても、それだけ打ち込めるだけの資金は必要で、やはり生活には困らない程度の家だったのでしょう。 苦労の末に写真機を完成させたはいいのですが、「写真を撮ると魂を吸い取られる」などの迷信を信じる人たちにとって、写真は恐ろしいものと敬遠されます。 西洋の文化がなじんでいた長崎でも、そうだったのでしょう。 しかし考えてみれば、この「写真に魂を吸い取られる」というのは、いまだにギャグで言われるくらいだから、相当に浸透した迷信ですよね。 さて、そんな彦馬にとって救いの神となったのが坂本龍馬です。 龍馬が中心になって長崎に作った、日本初の商社と言われる亀山社中(後に海援隊)は、彦馬の写真館と川を挟んでわずか数百メートルの近所でした。皮のブーツを履き、大刀の代わりに懐にスミス&ウェッソンのリヴォルバーを忍ばせた龍馬にとって、迷信は関係なかったようです。 当時の撮影はものすごく露光時間がかかります。すこしでも被写体を明るくして露出を稼ごうと、顔におしろいをぬりたくられ、数分間じっとしていなくてはなりません。 そんな苦労をしながらも龍馬は、現存する彼の6種類の写真のうち5枚を彦馬の写真館で撮影したそうです。 そんな龍馬の推薦(?)もあってか、名だたる幕末の志士たちも彦馬の手により、貴重な写真を残しています。 明治になってからも彦馬は、西南戦争に従軍して日本最初の戦場カメラマンとなったり、たくさんの弟子を取り自分の技術を惜しげなく伝えて、日本中に写真を根付かせました。現在、カメラ生産のシェアは80%が日本だそうですが、その基礎を作った偉人と言っていいでしょう。 番組の中で、イチバン心に残ったエピソード。 龍馬は自分の写真を焼き増しして名刺として人に配っていましたが、福井藩士の由利公正(五箇条の御誓文の起草者)は、龍馬にもらった大事な写真をある日、誤って川に落としてしまいます。奇しくもその日が、近江屋で龍馬が暗殺された日だったそうです・・・。 PR |
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中学時代、放送部に入ってました。
もっとも、中学校の放送部なんて、まあ遊びみたいなものです。 登校、下校、掃除、休憩・・・それぞれの時間に決まった文面の放送を読み上げ、それぞれの場面に決まった音楽を流します。ほとんどは、「ユモレスク」や「口笛吹きと子犬」といったクラッシックの小品。もちろん、その当時の音源はすべてレコードです。 さて、いちおう放送室なので、ささやかながらも「コントロール卓」があります。 しかし、放送室といいながらほんとに普通の部屋で、窓も開くし、放送中でもドアが開いて勝手に人が入ってきます(笑)。 そして、レコード・ライブラリーもほんとにささやかなものです。 あまり覚えていないのですが、定番のクラシックの他には、渡辺貞夫(フュージョン)、リチャード・クレイダーマン(イージー・リスニング)などのアルバムが置いてありました。 なかでもお気に入りは映画音楽のメイン・テーマを集めたオムニバス版のレコードです。 当時はほとんど毎日テレビで洋画劇場を放送していて、そのなかでも1年に1回は必ずやっていたのがスティーブ・マックイーンの「大脱走」。その有名なエルマー・バーンスタインのテーマ曲が大好きで、よく聴いていました。 昼休みの時間に、好きな音楽を部室内だけで聴いたりできるという特権もありましたが、ある日校庭のスピーカーのスイッチがONになっているのに気付かず、爆音で校庭中に音楽を流すという失敗もやらかしました。 放送部がもっとも仕事をするとき、それはやはり運動会でしょう。 放送部員は校庭の正面の放送部用テントに居ることができたので、陽射しを避けれるし、イスもあるし、となかなかいい待遇だったように思います。 あわただしかったことは間違いありませんが・・・。 私は放送部の頃から、好きな「音楽」のおかげで、かなりいろんな場面で救われていたと今でも思います。 |
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この番組、普段から見ているワケではないのですが、今回は「ウォークマン VS iPod」という興味あるテーマでしたので・・・
「ソニー ウォークマンの逆襲」 さて、コチラの記事でもふれましたが、私はこれまでテレビ、ビデオデッキ、5,1チャンネルアンプ、カセットデッキ、DVDプレーヤー、DVDレコーダー、ICレコーダー、そしてもちろんラジオなど、さまざまな製品を購入してきたソニーファンです。 でもパソコンはマック派という、今回のテーマにとっては微妙な立ち位置なのです。 ポータブルオーディオのシェアは、メディアがカセットやMDだった時代はソニーの一人勝ち(というかまだアップルは参戦していない)でした。しかし、メモリー時代に突入してiPodが登場すると、ソニーの立場は難しくなります。 iPodとアプリケーション・ソフトのiTunesは当初はマック専用でしたが、やがてウィンドウズにも対応するようになりました。パソコンのOSにおけるウィンドウズとマックのシェアはだいたい「9:1」くらいなので、これで完全に同じ土俵に上がったということになります。 一方、ソニーは著作権などの兼ね合いもあり、ユニバーサル・スタンダードといえるMP3形式を当初はとらず、独自の形式を採用。これもシェアをiPodに大量に奪われた理由のひとつかもしれませんが、私はもともとソニーのわが道を行く独自性が好きなので、これは良いと思っています。 しかし、マック使いの私にとって悲しいのは、ソニー系列の音楽ダウンロードサイトは今に至るまで(基本的に)ウィンドウズ専用ということです。 そんなこんなでウォークマン数台、iPodも使ってきた私にとって、この「ルビコンの決断」は楽しく見れました。 番組のほとんどが再現ドラマによる 「ソニーがiPodにシェアトップを奪われて奮起、そしてついにトップを奪い返すまで!」 を描いたものでしたが、よく出来ていました(最後に開発担当者本人がチラッと登場したのですが、それぞれ俳優さんが特徴をよくつかんでいたのがわかります)。 たしかに、ソニーがアップルからシェアトップを奪い返した期間が2週間だけというのはちょっと寂しいですが、これからも私はソニー、アップル双方のファンとして見守っていきたいと思います。 |
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生まれた時からCDで、レコードなんて見たことない、という世代が多数を占めるようになりました。
今日は、私とCDのファーストコンタクトを語ってみたいと思います。 前回の記事、キング・オブ音楽メディアは?その1はコチラ CDプレーヤーが発売されて、初めて電器店で試聴した時のことはよく覚えています。 ソニーとフィリップスが共同開発したCDですが、最初に国内で発売されたプレーヤーはソニー製と日立Lo-D製でした。 ソニーは今と同じく、トレイが出てきてCDを乗せる方式でしたが、Lo-Dは確かカセットデッキのようにCDをタテに入れる方式だったと思います。 大きさは、今のハードディスクレコーダーを3段重ねしたくらいの巨大さ。 もちろんCDソフトは当初は少なかったですが、日本のポップスでは大瀧詠一の「ア・ロング・バケーション」がいち早く発売され、電器店にも置いてありました。 さて、いよいよ試聴です。 どの機種かも、CDタイトルが何だったかも覚えていませんが、とにかく試聴機のヘッドフォンを耳に当てて、再生ボタンを押しました。 すごい衝撃でした。 音質の素晴らしさに対してではありません。 その衝撃とは・・・ いきなり音が出たこと。 レコードの場合、曲が始まる前に「プチプチ・・・」というノイズが入ります。そのノイズの大きさによって、どのくらいのボリュームになっているかが予想でき、心構えが出来るわけです。(もっとも、私は針を落とす時の衝撃音でスピーカーに負担が掛かることを恐れて、ボリュームを絞ってから針を落とし、そこからボリュームを上げて適度な音量に合わす、という手順を忠実に行っていたましたが・・・) さらにテープの場合も、「サー・・・」というヒスノイズが入ります。 しかし、CDは予告なしに音が出ます。その時、結構なボリュームになっていたのかもしれませんが、これは気を付けないと、思わぬ事故につながる恐れもあると思いました。 そうです。私のCDに対する最初の印象は、音質の良さよりも「ノイズがない」ということに尽きたのです。 売る側も当初は「音がいいですよ!」ということよりも、ワンタッチで選曲、さらにプログラム再生も簡単などといった機能性の方をアピールしていたように記憶しています。 さらに、新しいシステムが出来たときには毎度のことながら、雑誌などではさまざまな不安要素も挙げられていました。 1、デジタル機器であるCDは、安いプレーヤーも高級機も音質は一緒である 2、レコードは100年前のソフトでも再生出来るが、CDにその保証はない ・・・などなど。1の懸念はすぐに払拭されましたが、2の方はあと70年経たないとわかりませんね(笑)。 当初はクラシックやジャズなど、CDによる長時間収録、ノイズがないなどの恩恵を受けやすいソフトが多く出されていました。しかし値段もレコードよりも1000円ほど高く、なによりもまず「CDプレーヤ本体」を買わなくてはいけないので、私には当面、縁のない物なのでした・・・。 |
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いまや音楽を購入する手段はネット配信が主流、CDですら過去の物になりかけています。
ネット配信派によると、 「お皿(CD)は場所を取って、邪魔でしょうがない。CDで買ったとしてもすぐパソコンに取り込んで、一度も聴かない」とのこと。 CDで邪魔なら、LPレコードだと、どうなってしまうのでしょう。 かく言う私も、数が多すぎて部屋の床が抜けてしまう恐れが出てきたため、コレクションしたレコードをほとんど中古屋さんに売ってしまったことがあります。 それを期に、しぶとくアナログ派だった私も完全にCDに移行したのですが、そのCDも何度か同じように整理してきました。 古い話になりますが、レコードを買うお金がなかった少年時代、カセットテープが私にとっての音楽メディアでした。 ラジカセでFM放送をエアチェックするのが、最もリーズナブルな音楽の入手手段だったわけです。 当時はFMレコパル、FMファン、週刊FMなど、やたらとFM雑誌が出ていました。それらの雑誌の番組表には番組でかかる曲目リストがあり、欲しい曲が流れるとタイミングを計ってラジカセの録音ボタンを押すのです。 レンタルレコード店でレコードを借りて来た場合も、当然テープに録音することになります。 その当時は安いノーマルテープでも「松竹梅」的なランクがあって、ソニーだと上からAHF、BHF、CHFというわかりやすい名前が付いていました。 話が逸れますが、当時はモノの「クラス分け」が非常に明快でした。 例えば、ヤマハのギターの「FG-18」という型番は「フォークギター、1万8千円」という意味(笑)。 時は流れ、私にとっての主要音楽メディアがCDになったあとも、愛車には「カセットデッキ」が付いていたため、かなり粘ってカセットテープを聞いていました。 そう考ると、思い入れの深さから僕にとってのキング・オブ音楽メディアはカセットテープになるのかもしれません。 しかし、もう少し他のメディアの良さも検証していきたいと思います。 つづく・・・ |
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