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80’s〈邦楽編〉はコチラ
バンクーバーオリンピックのモーグル、上村愛子選手お疲れさまでした! 決勝を生で見ていたのですが、上村選手は最後の選手が滑る時まで3位のイスに座るも、結果金メダルを取ることになったその選手が圧倒的な滑りを見せ、残念ながら4位という結果に。 上村選手は今回が4回目のオリンピックだったのですが、「7位」「6位」「5位」そして今回の「4位」とワンステップずつアップしていきましたね。しばらく、ゆっくり休んでほしいと思います。 さて、いつもの「である調」に戻ることにする(笑)。 前回の〈邦楽編〉で冒頭に語った通り、80年代の音楽シーンには時代を象徴するようなアーティストはなかなか登場しなかった。今回はいよいよ「洋楽」を語ることにする。 80年代の海外の音楽シーンには、以下のような現象が見られた。 1、70年代から活躍するベテランアーティストがあらためて注目を浴びる 管理人はジャーニーを「セパレイト・ウェイズ」という大ヒットで知ったが、すでに70年代から大人気のバンド。しかしこの曲はいまだにラジオでよく流れる名曲だと思う。 ダリル・ホール&ジョン・オーツは「マンイーター」で知り、ベスト盤をレンタルしてみたら他にもいい曲だらけであった。 こういった、ベテラン再発見は他にも「ミスター・ロボット」のSTYXなどもそうで、このアルバムもレンタルだったかFMのエア・チェックだかでくり返し聴いたモノだ。 さらに、大物バンドの中心人物がソロ・アルバムを出してヒットさせる、というのも多く見られた。ローリング・ストーンズのミック・ジャガーはソロ作「She's the Boss」から「Just Another Night」をヒットさせ、クイーンのフレディ・マーキュリーも「Born to Love You」という名曲を発表した。 2、いつのまにか「Rock」はイギリスの音楽に? ブリティッシュ勢力の台頭はなかなか凄いものであった。Wham!は初めはルックスのいいアイドル的存在だったが、音楽的にも非常に優れていて、アメリカでのブレイクも果たす。管理人も彼らのベスト盤やジョージ・マイケルのソロアルバムを購入した。 トンプソン・ツインズの「Hold Me Now」も大好きだったが、全盛期は短かったようだ。 イケメンが多かったブリティッシュ勢のなかで、ある意味最強の存在がカルチャー・クラブだ。ボーイ・ジョージの奇抜なキャラクターが注目の的であったが、音楽は意外にも?正統派で、ポップで聴きやすくて管理人も好きであった。 デュラン・デュランはずーっとあとに発表された007映画の主題歌「美しき獲物たち」がイチバン好きで、あらためて評価した。 「一発屋」といっては極端で失礼な話だが、イギリス勢は総じて短い期間に花開いた存在が多かったように思える。 3、We Are The World組は80年代ではない 「80年代が小粒と言ったって、マイケル・ジャクソンやプリンス、ブルース・スプリングスティーンがいるじゃないか!」 と、思われる御貴兄もいらっしゃるだろう。確かに80年代は「モンスター・アルバム」が多数発売された。マイケル・ジャクソンの「Thriller」、プリンスの「Purple Rain」そしてスプリングスティーンの「Born In the USA」などだ。 しかし、これらは「1」で挙げた事例のバリエーションで、マイケルは70年代から大スターであり、スプリングスティーンも言うまでもない。たまたま、80年代にベストセラーアルバムを発売した、というだけである。 しかし待てよ?言われてみればプリンスはデビューこそ70年代後半だが、メジャーな存在になったのは80年代に入ってからだ。言わずもがなの大ヒットアルバム「パープル・レイン」のリリースが1984年である。そう言えば管理人は「パープル・レイン」はもちろん、その後の「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」「パレード」「サイン・オブ・ザ・タイムズ」「LOVESEXY」そして映画「バットマン」のサントラ盤までぜんぶ持っていたではないか。これらはすべて「80年代」である。 居た。 さらに告白すると、 管理人、プリンスの来日コンサートにも行きました。 結論 80年代を代表するアーティストは松田聖子とプリンス。 おあとがよろしいようで・・・ドロン! PR |
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