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【2024/04/27 00:30 】 |
月、木、土。
10代の頃、いちばん聴いていたラジオ番組は「オールナイトニッポン」だ。
当時、ニッポン放送を直に受信できるラジオは所有していなかったが、幸運な事にネット局が1部、2部通しでやってくれていたので、普通のラジオやラジカセで聴く事ができた。
管理人が聴いていた時期には、すでにこの番組を含む「深夜ラジオ」の全盛期は過ぎていたのかもしれない。しかし、オールナイトニッポンには、月曜の「中島みゆき」木曜の「ビートたけし」そして土曜日はもちろん「笑福亭鶴光師匠」という豪華な面々が揃っていた。

中島みゆきの歌(とくに80年代半ばくらいまで)は好きで、レコードやCDを買ったり、コンサートにも行った。
オールナイトの最終回は、ハッキリ覚えている。テープにも完全録音した(もう、どこにあるのかわからないが)。これから、音楽の方によりいっそう力を注いでいくために降板する、というような説明があった。

ビートたけしのことを当時、興味がなかったティーンエイジャーは、いないだろう。最盛期はモチロン面白かったが、やがて番組を何かにつけて休むようになる。理由は「お化けが出た」から、とかそんなことばかりで、最後の方は「たけし軍団のオールナイトニッポン」になっていたような気もする(笑)。
このようにフェードアウトしていったので、最終回の記憶はない。

鶴光師匠は、やはりイチバン聴いたし内容もよく覚えている。アシスタントの女の子はたいてい「あまり売れてないアイドル」で、エッチな言葉を師匠に仕込まれたりしていたのだが、その後で売れていった子が何人もいる。
「スケベなおっさん」という印象だが、その当時の師匠は30代半ば、今の管理人よりずっと若かったわけだ(笑)。
最終回のことも覚えている。
たしか、師匠がこれまでに出したレコード(結構シングルを出していて、「うぐいすだにミュージックホール」という曲はかなりヒットした)を当時のエピソードを交えて流したり、番組の歴代のディレクターが集まって思い出を語ったり、という内容だったと思う。
しかし後に、この最終回が「録音」だった、ということをどこかで聴いてショックを受けたのも覚えている。

この3人がやはり楽しみで、他の曜日も聴くには聴いていた(月、木、土以外は結構、パーソナリティーの変更が多く、中には数ヶ月で降板してしまった人もいたようで、かなり厳しい争いだったらしい)が、面白くない日や放送がない日曜などには、録音したビートたけしなどのカセットテープを聴きながら寝たりしていた。
そう、基本的に「寝ながら」聴いていたのである。
この番組は、1時から3時までの「第1部」3時から5時までの「第2部」という構成になっているのだが、土曜日はスペシャルで、鶴光師匠が4時間通して担当していた。つぎの日が日曜とはいえ、毎週最後まで聴く事はできず寝落ちすることが多かったと思う。

必死で聴いていた時代のパーソナリティーが降板していき、管理人も徐々にオールナイトを聴かなくなっていったわけだが、この番組はいまでも管理人の中で「面白さの基準を計るメートル原器」として輝き続けている。

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【2010/02/09 23:01 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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