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さて、先日のブログで予告した”司馬遼太郎さんの作品を語る”だが、「これは無理」という結論に達した(笑)。
最大の理由は、やはり個々の小説の感想というものは「ネタバレ」を多分に含むということ。管理人もコンサートを観る前にセットリストを知りたくない、というタイプなので、これはしょうがない。 司馬さんの歴史小説は、ミステリーや推理小説みたいに結末が秘密、というモノではないのだが、やはりこれから読む、という人にはまっさらな気持ちで読んでいただきたい。 そこで、管理人が思う「司馬遼太郎作品の魅力」をサラッと箇条書きにしてお茶を濁すことにする。ただし、これから司馬さんの作品を読もうという人は、やはり見ない方がいいと思うので、隠すことにする。
1、超越した「視点」
小説には普通「三人称(例 龍馬の背後にいつのまにか、数人の刺客が忍び寄っていた 管理人作)」や「一人称(例 俺は背後に気配を感じて、足を止めた。そういえば、あの夜もそうだった・・・ 管理人作) 」など、だれ目線で語られたハナシなのか、という種類がある。 「大河的な物語」である歴史小説はたいてい、三人称(神の視点などとも言う)で語られることが多い。管理人も「司馬遼初心者」の頃は、そういう心づもりで読んでいた。 しかし、読み進んでいるうちに読者は、そう言った小説の概念とは全く次元の違うモノを読んでいることに気付く。それが「司馬視点」だ。 これはもう、読んでいただくしかない。 2、徹底して絞り込まれた「焦点」 これにも驚いたものだ。 普通、ある人物を小説で描こうとすると、まず時代背景を語り、そして生まれた時の状況、少年時代のエピーソード・・・という「成長を追った」流れになると思って読んでいくのだが、司馬作品の主人公は、始まった時はすでに成人であることが多い。 つまり、その人の人生がイチバン輝いた瞬間にスポットを当て、その部分を徹底的に語り尽くす。そして、生まれたときと並んで重要と思われる「死ぬとき」のエピソードも、特に紙数を費やすわけでなく、淡々と語られることが多い。 しかし残念なことに、「原作 司馬遼太郎」であるにも関わらず、ドラマ化された途端に、どの話も上記に挙げた「普通の展開」になってしまう。(もっとも、それにより後で原作を読んだ時の衝撃が増すわけだが) 人間、生まれて死ぬのは当たり前で誰でも同じだが、「その間」がもっとも重要なのだ、ということをあらためて感じた。 3、意外に「マニアック」 司馬遼太郎と言えば「国民的作家」と呼ばれ、日本でもっとも親しまれている小説家と言っていいだろう。日本人が最も好きな小説第一位は「坂の上の雲」だというアンケートの結果が数年前にも出されていた。 しかし管理人には、その結果イコール「読みやすい」「普遍的な」小説とは思えないのである。 特に初期の短編などには、かなり怪奇小説風な悩ましい話などもあるし、描写もストレートであり、女性などには違和感を覚える人もあるかもしれない。 戦場のシーンの描写も、かなり凄まじい。 管理人はこういった点から、これからも司馬さんの作品が若い人に読み続けられていくのかどうか、一抹の不安を覚えることもある。そもそも歴史小説は、「必ず古くなってしまう」現代小説に比べると「最初から古い」ワケであるから、逆にいつまでも古っぽくならない、という利点はあると思うのだが・・・。 以上の3点を考慮した上で、やはりイチバン読みやすいのは「竜馬がゆく」だろう。 結論 司馬遼太郎さんの作品を楽しむのには、「ある程度の年季」が必要。 PR |
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