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【2024/04/19 11:37 】 |
二人の馬
これを書いている現在、まだ放送中なのですが、
「火曜エンタテイメント 昔の人はスゴかった!!歴史のおかげですグランプリ2」という番組について。

ロケ中心の番組で、進行役の石原良純さんがアナウンサーの女性と二人で町を歩きながら進行役をつとめています。
夕食を食べながらのんびり見ていたのですが、

「電気の街、秋葉原が生まれたのは材木商のおかげ!」

「歌舞伎が現在、残っているのは遠山の金さんのおかげ!」

などといった「歴史うんちく話」のオンパレード。
再現ドラマが妙に凝っていて、江戸時代の町のロケなどもなかなかきちんと撮影しています。もっとも、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」のようなリアリティあふれる映像ではありませんが・・・。

龍馬といえば、この番組のテーマのひとつ、
「写真があるのは、坂本龍馬と上野彦馬のおかげ!」が今日の主題です。
写真界の賞のひとつ「上野彦馬賞」にも名を残す幕末〜明治のカメラマン、上野彦馬。
写真をやっている私は放送されたエピーソードは大まかに知ってはいましたが、あらためて見てみましょう。

とにかく日本最初のプロカメラマンであり、日本最初の営業写真スタジオを作った人です。舞台は長崎。
洋書で「ホトガラ」なるモノを知った彦馬は、一から書物を頼りに写真機を作った、と紹介されていましたが、特に現像に使う薬品の入手には苦労したようです。
それにしても、それだけ打ち込めるだけの資金は必要で、やはり生活には困らない程度の家だったのでしょう。

苦労の末に写真機を完成させたはいいのですが、「写真を撮ると魂を吸い取られる」などの迷信を信じる人たちにとって、写真は恐ろしいものと敬遠されます。
西洋の文化がなじんでいた長崎でも、そうだったのでしょう。
しかし考えてみれば、この「写真に魂を吸い取られる」というのは、いまだにギャグで言われるくらいだから、相当に浸透した迷信ですよね。

さて、そんな彦馬にとって救いの神となったのが坂本龍馬です。
龍馬が中心になって長崎に作った、日本初の商社と言われる亀山社中(後に海援隊)は、彦馬の写真館と川を挟んでわずか数百メートルの近所でした。皮のブーツを履き、大刀の代わりに懐にスミス&ウェッソンのリヴォルバーを忍ばせた龍馬にとって、迷信は関係なかったようです。
当時の撮影はものすごく露光時間がかかります。すこしでも被写体を明るくして露出を稼ごうと、顔におしろいをぬりたくられ、数分間じっとしていなくてはなりません。
そんな苦労をしながらも龍馬は、現存する彼の6種類の写真のうち5枚を彦馬の写真館で撮影したそうです。
そんな龍馬の推薦(?)もあってか、名だたる幕末の志士たちも彦馬の手により、貴重な写真を残しています。

明治になってからも彦馬は、西南戦争に従軍して日本最初の戦場カメラマンとなったり、たくさんの弟子を取り自分の技術を惜しげなく伝えて、日本中に写真を根付かせました。現在、カメラ生産のシェアは80%が日本だそうですが、その基礎を作った偉人と言っていいでしょう。

番組の中で、イチバン心に残ったエピソード。
龍馬は自分の写真を焼き増しして名刺として人に配っていましたが、福井藩士の由利公正(五箇条の御誓文の起草者)は、龍馬にもらった大事な写真をある日、誤って川に落としてしまいます。奇しくもその日が、近江屋で龍馬が暗殺された日だったそうです・・・。

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【2010/01/26 22:07 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0)
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