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ハンク・ウィリアムスとの出会いは、フェードインではなくカットインだった。
あれは「CD」と「アナログレコード」が、まだ併売されていた頃。 管理人は当時はまだCDに抵抗して、アナログレコードのほうを買っていた。そんな中で、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの言わずと知れた代表作であり大ヒットしたアルバム「スポーツ」を購入したのである。 しかし、買ったのはヒットしている最中ではなかった。 「ベストヒットUSA」を見ていたので、このアルバムからの曲が大ヒットしているのは充分知ってはいたのだが、管理人がこのバンドにハマってレコードを集め出すのは、その後「パワー・オブ・ラブ」や次のアルバム「FORE!」が出た頃からだ。 「スポーツ」は言わずもがなの名曲満載のアルバムだったが、最後の1曲がカバー曲で、タイトルは「ホンキー・トンク・ブルース」。ロックバンドのアルバムラストを飾るというには「変化球」で、しかしなにか余韻が残るような不思議な曲だった。 アルバムのライナーノーツによると、この曲のオリジナルを歌っているのは「ハンク・ウィリアムス」という人で、カントリー・ミュージック界の大スターだそうだ。 歌詞は、「田舎がイヤで飛び出して都会に出たが、結局その暮らしは肌に合わず、やっぱり田舎に帰りたい」というような100年前からあるような(笑)「定石」というヤツだが、管理人はこの曲に興味が湧いてきていた。 当時は、当然のことながらインターネットで調べるような環境はなく、それ以上の情報は持ち得なかった。それからどのくらい経ってだろうか、行きつけのレコード店でついに、ハンク・ウィリアムスのベスト盤のミュージックテープを発見した。 〈続く〉 PR |
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「日本人ではカントリー・ミュージックは流行らない」 とは、いつ頃から言われ始めたのだろうか。 戦後の一時期には、アメリカから輸入されたさまざまな音楽に混じってカントリーの曲が日本語に訳して歌われ、結構ヒットしている。「16トン」「ノース・ウィンド」「知りたくないの」などなど。 そして日本人のカントリー歌手の方もたくさんいらっしゃって、現在でもイベントを開けば全国からファンの人が集まっている。どのくらいか分からないが日本にも一定数のカントリー&ウエスタンのファンが居るのは確かだ。 これから何回かに渡って、管理人が大好きなこの音楽について語っていきたい。 タイトルにあるように、カントリーの「ナンバーワン・ミュージシャン」であるハンク・ウィリアムスのハナシが中心になると思うが、その他の(あくまで管理人の好みに偏るが)アーティストも取り上げる予定だ。 お知らせ 忍者ブログをスタートして1ヶ月半。 毎日更新して参りましたが、3月からはマイペースでやらせていただきます。 これからも、思い出した時にチラッとのぞいてやってください。 |
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チャック・ベリー ボ・ディドリー レイ・チャールズ ジェームス・ブラウン スティービー・ワンダー ボブ・ディラン ポール・マッカートニー リンゴ・スター サイモン&ガーファンクル ディープ・パープル ドゥービー・ブラザース ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース プリンス
そうそうたる海外アーティストの名前を挙げたが、これは管理人が観に行ったコンサートの顔ぶれの一部だ。ロック、ソウル系の名前だけにしてみたが、モチロン他にもジャズ、フュージョン、ポップス、カントリー、クラシックなどのライブにも行っている。 10代の頃から海外アーティストの来日公演に行っているので、すぐには思い出せない名前もあるが、これを見るとあらためて自分が「メジャー好き」ということに気付く(笑)。そしてブリティッシュよりアメリカの圧勝だ。 と、言うことで今回は「アメリカン・ミュージック」について少し。 「ソウル、R&B系」そして「西海岸ロック系」と、一見バラバラで節操がないように見えるが、これらのアーティストのサウンドの源流をさかのぼると、ほとんどがいわゆる「ブルース」的なモノにたどり着く。 あくまでも管理人の個人的な見解だが、現代のアメリカのポピュラー・ミュージックシーンは、いわゆるマイノリティの人たちによって創設されたモノだと思う。 そして現在のアーティストは人種に関係なく、これらの音楽的な遺産を受け継いで自分たちの「ルーツ・ミュージック」を一様にリスペクトしている。 ブルース・スプリングスティーンが80年代にエルヴィス・プレスリー的な音楽をやっても、だれも「今さら、なにやってんだ!」とは言わないし、リスナーのほうも歴史を分かっているので、受け入れてくれる。アーティストだけでなく、リスナーのほうも熟成された「聴くプロフェッショナル」と言えるだろう。 音楽をやろうとする人たちは、 「だれも聞いたことのないような新しいモノをやる」 ということを目標の一つにあげると思うのだが、だれしも自分が聴いてきた音楽の中でイチバン好きな時代やジャンルがあるはずだ。 「今は21世紀だが、1950年代のロックンロールが好き」 となれば、そのスタイルで現在でも演奏し、リスナーもそれが良い出来ならば支持する。国も若ければ音楽も若い、まだまだ「博物館行き」になるようなジャンルは存在しない、ということなのだろう。 来日コンサートを行ったアーティストの多くが、 「日本の観客は世界一だ。みんな騒がず真剣に聴いてくれるし、なじみのない曲を演奏しても、いっせいにトイレに立ったりしない。」 と、いうようなことを語る。 モチロンこれはリップ・サービスではなくホントにそう思っているに違いない。確かに日本の観客のマナーの良さは素晴らしいと思う。 しかしなんとなく日本の場合、演奏者→観客の一方通行的な感じが見えることもある。観客がべつにへりくだるわけではないが、「聴かせてもらう」「与えてもらう」という受動的な気持ちが強いのかもしれない。どうも日本的な考えでは、 「コンサートに行く=ハレ」 なのではないだろうか。モチロン、アメリカの場合は「ケ」である。 まさか「ハレ」と「ケ」まで出てくるとは思わなかった(笑)。 しかし観客のハナシは、文化の違いであるのでいたずらにアメリカナイズする必要はないと思う。(同じくアメリカの文化である「野球観戦」の方は、各地の球場でアメリカン・スタイルを取り入れてはじめているようだ) 音楽的には保守的な一面もあるが、先鋭的なモノもオールドタイムなモノも清濁併せて呑み込む、といった「度量の広さ」がアメリカンミュージックの魅力だろう。 |
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シルベスター・スタローンの映画「コップランド」をご存知だろうか。
スタローンがいつもの「キャラ」をかなぐり捨てて、地味で等身大の役どころを演じた印象深い作品だ。スタローンは役づくりのために、お腹に贅肉をつけて体型まで変えると言う並々ならぬ意気込みを見せていた。 この、「ヒーロー」からの変化は完全には成功しなかったかもしれない。しかし、演技派の巨人であるロバート・デニーロとも共演し、以後の彼の演技に影響を与えたターニングポイントのような作品だったと思う。 その映画の中で管理人が印象に残ったシーンがある。 スタローン演じる主人公が自分の家で、ブルース・スプリングスティーンのレコードをしみじみと聴いている、という短いシーンだ。曲は忘れたが、「ザ・リバー」あたりのカンジだったと思う。 ブルースのファンならば(と言うかほとんどのアメリカ人)、このシーンによって主人公がどのような家庭の出身で、どのような暮らしをしてきたか、などが想像出来るという、ニクい狙いが含まれている名シーンだ。 管理人は10代の頃、ブルース・スプリングスティーンにかなりハマってしまった。時期的には「Born In The USA」の頃だが、一歩乗り遅れてしまったため、伝説のこのアルバムの来日コンサートには行くことが出来なかった。 ハマるのがあと1年早かったら、マチガイなく行っていたハズだ。 「ボーン・イン・ザ・USA」は言うまでもなく大ヒットした名盤だが、同時にこの作品はブルースにとってはある種の「固定観念」や「誤解」を生み出してしまうという、痛し痒しのアルバムになってしまった。 はっきり言って、このアルバムの「白いTシャツ」「ジーパン」「星条旗」といったイメージは一種の「コスプレ」「舞台衣装」のようなもので、たまたま着ていたに過ぎないと思っている。彼の、より等身大に近い姿は下に貼ってあるアルバム「Lucky Town」のジャケット写真のほうが近いのではないだろうか。 そしてもう一つ、彼のトレードマークになった、エレキギター(フェンダーのテレキャスター)だ。モチロン、これは誤解ではなくホントに弾いているのだが(笑)彼の作品を聴けば、ギターサウンドが前面に出た曲はむしろ少ないことがわかる。 これは、まだブルースと「Eストリート・バンド」が蜜月時代の頃に限ったハナシだが、彼の作品の要になっているのは、ピアノ、オルガン、シンセなどのキーボード類、そしてサックスだ。さらに、ロック系では珍しい「グロッケンスパイエル(いわゆる鉄琴)」も効果的に使われている。 そしてこれはスローナンバーなどに多いが、いわゆるカッティングのリズム・ギターも入っていないことが多い。これらのサウンドの特徴がそのまま、ブルースの音楽のオリジナリティになっている。 モチロン、エレキギターを前面に出した曲もあるが、「ロカビリー・リスペクト」的なノスタルジックなナンバーが多く、いわゆる「メインストリーム」ではない。 なんと「レコード5枚組」という、怒濤のライブアルバムも発売後すぐに購入したのをはじめ、それまでのアルバムは全て揃えた管理人の目から見ると、彼の本質は単なる「ロックンローラー」ではなく、もっとトラディショナルな、ウディ・ガスリーやボブ・ディランの系列に連なる「街の吟遊詩人」ではないかと思う。 |
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管理人が10代前半の頃、家でレコードを聴くためのステレオには「システムコンポーネント」と「ミニコンポーネント」の2種類があった。モチロン、これ以外に単品で組んだステレオ装置もあるのだが、管理人にとっては別世界のハナシであったので割愛する。
システムコンポーネント略して「シスコン」は、アンプ、チューナー、そしてレコードプレーヤーなどがオーディオラックの中に収まってセット販売されているモノだ。それにスピーカーを接続して聴く(スピーカーもセットの一部)。サイズは単品のコンポと同じくらいのフルサイズで、タテ1列にアンプなどを全て重ねた「タテ型」と、2列に分けて収納してある「ヨコ型」がある。 レコードプレーヤーは、ラックの上ではなく中に内蔵されているモノが多かったように思う。シスコンは大きくて場所をとるがその分スピーカーも大きく、3way方式が主流だった。 ミニコンポーネント略して「ミニコン」、これは今でもお馴染みの「CDコンポ」と同じようなモノで、シスコンのコンパクト版。 これはシスコンにも共通するが、各メーカーは一つのブランド(例えば パイオニア「プライベート」)の中に3グレードくらいのラインナップを揃えていて、ユーザーは予算に応じて「松」「竹」「梅」を選択できたわけだ。当時の電化製品のラインナップの多さと現在の「縮小傾向」を比べると、チョットさびしくもある。 その当時のミニコンが今と違うところは、当時は「レコード」がメインのシステムだということだ。ミニコンのイチバン上にプレーヤーが鎮座ましましている関係上、30cm×30cmのサイズが最低限必要であり、今のミニコンよりは大きい。 さらに、今のミニコンはひとつの筐体のなかにCD、チューナー、アンプ部などが入っているが、当時はセパレートになっているものが主流だった。 ただし、その常識を覆して異彩を放っている機種があった。 それはソニーの「ヘリコンポ」という名前のミニコンで、レコードプレーヤーを装備しているにも関わらず、大きさは現在のCDミニコン並みだ。 なぜ、そんなことが可能なのか? それはなんと、 「LPレコードが、本体からはみ出して回転する」 という驚きの仕組みだ。 レコードを固定する部分は中央ではなく角の方にオフセットしてあり、アームや針の部分はちゃんとカバーがあって、露出するのはLPレコードの3/4くらいの面積である。 そう、LPレコードがまるで「ヘリコプターのローター」のように回るので、ヘリコンポなのだ。 管理人は電器屋でこのヘリコンポを憧れのまなざしで見ていたものだが、結局手に入れることは出来なかった。 あのころ、ソニーはまさに輝いていた。 もう一度、あのような奇抜な発想の製品を発表して、我々をアッと言わせてほしいものである。 P.S. だからといって「コンパクトディスク版ヘリコンポ」を出されても、ホコリが入るのが気になって誰も買わないと思います(笑) |
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