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【2024/04/23 19:07 】 |
スウィング・ボーイズ&ガールズ(2)20年代のサッチモ
スウィング・ボーイズ&ガールズ(1)はコチラ

1900年代の初め、ニューオリンズの町で産声を上げたとされる「JAZZ」だが、この歴史はそのまま「音楽レコーディングの歴史」と重なる。ジャズ界の最重要人物であるルイ・アームストロングの活動黎明期からその音楽が記録されて残っているのは、もはや「歴史的資料」としての価値さえあると言える。
サッチモ以前にも優れたプレイヤーは存在したが、今現在、まとまったカタチで聴けて、なおかつ娯楽性も高い最初のジャズ・スターは、やはり彼を置いていないであろう。
一般的にサッチモは現在、1950年代以降の「ハロー!ドーリー」や「この素晴らしき世界」などのポップス界での活躍の方で認識されている。(と、いうか普通のCDショップではこのあたりの作品しか置いていない)しかし、やはり管理人にとっては(そして客観的に観ても)「ホット・ファイブ」を結成した1925年頃から「ホット・セブン」そしてビッグバンド時代に至るまでの期間が全盛期と思える。彼は20代にして、十分に後世に残る業績を残したといえる。

管理人はアナログ時代、「1920年代のルイ・アームストロング」という、非常に分かりやすいタイトルのアルバムを購入した。ジャケットも素敵なこのアルバムは、1曲目が「ウエスト・エンド・ブルース」で最後の曲が「タイト・ライク・ジス」という、完璧な構成の名盤だった。やはりサッチモはビッグバンドより小編成のほうがいい。この時期の彼のトランペットの輝きは、ジャズという新しい音楽をブルドーザーのごとく開墾していくモノだった。
サッチモといえばあの笑顔で陽気なイメージを連想する人が多いと思うが、彼の音楽はその笑顔の奥に秘めた「ブルーズ」を感じさせ、哀愁を漂わせたと思えば独特の「スキャット・ボイス」でさらに魅惑的な世界へと誘ってくれるという、まさに絶妙なバランスの世界である。

しかし問題点がひとつある。
この時代の音楽に興味を持ち音源を入手したは良いが、聴いた瞬間に
「もう無理」
と、拒否反応を起こしてしまう確率は50%といったところだろう。
それは「音質」だ。
管理人のように遠距離のラジオを受信して、雑音の中から聴きたい局の電波を聞き分けると言う訓練(笑)をしている人間にとっては文句のない高音質なのだが、ノイズのない音が当然、という人にとってこの時代の音楽を聴くことはある意味「苦行」であり、「音」を「楽しむ」のが音楽、という大前提も揺らいでしまうかもしれない。
もっとも、CD時代になってだいぶ良くなったハズなのだが、今の技術で仮に「ノイズ部分」が除去出来たとしても、モチロンその音楽本来の良さも無くなってしまうのでこれは論外だ。
寂しいが、「こんな悪い音の音楽は聴きたくない」という人もいて当然だろう。
しかし、ぜひ一度はトライして、この時代のサッチモの音楽を聴いていただきたい。そうしたら「録音が古い=音楽が古い」ではないことがお分かりいただけると思う。

「スウィング・ボーイズ&ガールズ(3)クチナシの髪飾り」に続く

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【2010/02/19 20:20 】 | 未選択 | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
ザ・ナンバーワン・バンドもヨロシク
前の記事「音楽は空中に。」「歌詞カードはコピーいたしますか?」の続き。

80年代、日本にいながらにして洋楽の最新情報、オマケに映像まで入手出来る画期的なテレビ番組があった。
「ベストヒットUSA」そして「MTV」だ。
MTVは言うまでもなく、80年代以降の音楽シーンにおいて最重要のメディアになった「ミュージックビデオ」を延々と流し続ける番組。アーティストにとっては、曲をレコーディングすると今度はビデオ撮影という、面倒な仕事がひとつ増えたわけである。ビートルズの頃は映画並みにフィルムで撮影していたプローモーションビデオが、技術の進歩により身近になったのも普及の要因だろう。
初期は素朴な作品が多かったが、やがてアニメーションや、アニメと実写の合成など凝った作品が出てきた。MTVは、ビジュアル系が多いイギリスのミュージシャンには特に効果的なプロモーションの役割を果たしたようだ。

MTVは管理人の地元でも放送されていたが、正直あまり真剣には観ていなかった。管理人にとって重要だったのは、マチガイなく前者のベストヒットUSAの方だ。
今でも活躍する名ディスクジョッキー、小林克也の軽妙なトークに乗って最新の全米ヒットチャートを紹介する番組。今思えばあの頃はなぜあんなにヒットチャートが気になったのだろうか。

80年代の中盤には、やたらと「モンスターアルバム」が出現した。マイケル・ジャクソンの「スリラー」、プリンスの「パープル・レイン」、ブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザUSA」、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「スポーツ」などなど。そこからやたらとシングルカットされた曲がチャートに入り、番組を観ながら管理人は「アルバムの曲ぜんぶシングルカットする気か?」と思ったモノだ。しかしスプリングスティーンのシングルのB面には、アルバム未収録のライブ音源が入っていたりしたので、それ目当てで買ったりした。あの当時スプリングスティーンの楽曲はほとんどフルコンプしていたと思う。
この頃になると管理人も「マイ・ビデオデッキ(ナショナルHi-Fiマックロード)」を持っていた。以前に語った「FM雑誌」にはテレビの音楽番組の情報も載っていたので、お目当ての曲があるとビデオテープを用意して待つわけである。

さて、ベストヒットUSAでは「タイムマシン」という、懐かしの映像を紹介するコーナーがあり、このコーナーはお気に入りだった。そこで観て衝撃を受けたのが、ボブ・ディランの「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」という曲の映像。
ディランのアルバムは主要なモノはほとんど購入したが、この1965年頃がやはり最高だ。ディランが人気絶頂の65年に行ったイギリスツアーの模様を記録したドキュメンタリー映画「Don't Look Back」の冒頭にこの「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」の映像が収められている。それを知って管理人は一世一代の買物をした。
今でこそ、映画のDVDが1,500円くらいで売られているが、当時このビデオはなんと12,000円だった。
ちょうど、「CD」が出始めたころのおハナシである・・・。

ベストヒットUSAを語るつもりが、なぜかスプリングティーンやディランのハナシになってしまった。この番組、「BS」で現在も放送されているそうだ。残念ながら現在は全米ヒットチャートを追いかけていないので観てないが、小林氏にはいつまでも、その流暢なイングリッシュで音楽の「今」を紹介し続けてほしい。

「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」が収録された管理人がイチバン好きなディランのアルバムです

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【2010/02/18 22:24 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
歌詞カードはコピーいたしますか?
前回の記事「音楽は空中に。」の続き。

「レンタルレコード店」は、管理人がまさに中学生になる頃スタートした。
この便利なシステムは瞬く間に全国に広がり、しばらくしてわが町にも登場したのであった。しかし、いわゆる「地方」である管理人の地元には当然「れいこう堂」などのメジャーなショップはない。管理人が通ったのは「街の電器屋さん」と一体になったようなショップで、新品のミュージックテープなども販売していた。
ちなみに、いま「ミュージックテープ」は演歌や落語くらいしか需要がないが、当時はレコード店だけでなく、ガソリンスタンドや高速道路のサービスエリア、そしてなぜか「ラーメン屋」なんかでも売っていたりしたものだ。

CDと比べてレコードは、より丁寧な扱いが求められる。不特定多数の人が利用するわけだから、借りたレコードが「音とび」することも当然、あり得るわけである。
親切なショップでは、商品の中にレコードを示す丸いイラストを書いた紙を入れていた。そして傷がある箇所に同じように線を書き、お客に分かるようにするわけだ。
他店は分からないが、地元のショップでは「歌詞カードコピーサービス」をやっていた。モチロン有料だが、「歌詞」を結構重要視していた管理人は、よく利用していた記憶がある。

余談だが、そのころ松田聖子に続くアイドルとしてデビューしたのがキョンキョンこと「小泉今日子」である。彼女はデビューしてすぐの頃は昔のアイドルのカバー曲を歌っていたりして、ヒットチャートにもそれほど出てこない比較的「地味な」存在だった。
そんな彼女の初期のアルバムがそのショップで流れているのを聴いて、「いい曲だな〜」と思ったのがなぜか印象に残っている。彼女の歌はテクニックはないが、声質が印象的で、歌い切るように精一杯声を張っているので、聴いていてとても気持ちがいい。ただし、管理人が好きなのは初期の大人しい頃(このころは名曲が多い)の作品で、本格的にブレイクして以降の曲は聴いていない。

まだまだこの頃は70年代の名残が色濃く残っていて、アイドルも「お人形さんのように」自己主張をしないタイプの人が多かった。小泉今日子も当初はまさにそんなふうに売り出されていたのだが、のちにウマく個性を発揮し、時代の波にも乗ってトップまで上り詰めたのはスゴいと思う。
そして現在でも多方面で活躍していて、大人の女性として魅力的だ。

さてさて、時代は移り、レンタルレコード店は「レンタルCD」になった。CDになってからも管理人はよく利用したのだが、残念なことがある。レコードのように大きな歌詞カードと違い、CDの場合はサイズの関係上、ジャケット写真を兼ねたブックレット形式になっていることが多く(CD黎明期はLPサイズの歌詞カードを折り畳んで封入していることが多かった)、事実上コピーは不可能だ。
よって、音楽の楽しみの何%かは「レンタル出来ない」ことになった。

考えてみると、CD時代になって音質は飛躍的に向上したが、レコードジャケットのアートワークや歌詞カードなどの「視覚による音楽の楽しみ」は、少し失われてしまったようだ。

次回の記事「ザ・ナンバーワン・バンドもヨロシク」に続く

地元のレンタル店で流れていたキョンキョンのアルバムはこれです

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【2010/02/17 22:20 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
音楽は空中に。
お金がなくてレコードをそうそう買えない10代の頃、管理人が頼った音楽ソースは

1、FMラジオ放送のエアチェック

2、レンタル・レコード

3、テレビの音楽番組

などであった。中学生になり、洋楽に目覚めた管理人はモノラルのラジカセにカセットテープ(たいてい、安物の無メーカー品)を入れて、緊張しながらポーズボタンを操っていたモノだ。

そこで本日は「1」のFMエアチェック話を。
以前にも語ったFM雑誌だが、そのメインページが「2週間分の番組表」だ。雑誌を買ってくるとそこで曲目をチェックして、赤ペンや蛍光マーカーで印を付けておくのが正統派の「エア・チェッカー(造語)」だ。
当時、NHK-FMで「クロスオーバーイレブン」という深夜番組があったのだが、特集や選曲がよくて、よくチェックしていた。

ところで、管理人はこのブログでやたらと「NHK推し」をしているが、別に贔屓しているワケではない。民放のFM番組が、あまりにもつまらないからである。
別に過度の要求があるわけではない。「良い音楽(流行に関係なく)を」「フルコーラスで」「たくさん聴かせてほしい」だけである。
それだけを見てもNHK-FMには現在も「ウィークエンドサンシャイン」「ミュージックプラザ」など、いい番組がたくさんある。
現在やっている民放の番組で好きなのは個性のある「サタデー・ウェイティング・バー」そして「ジェットストリーム」くらいか。

ハナシがそれた。FM雑誌だが、番組表以外では各誌、独自のカラーを持っていた。管理人は購読雑誌を決めてはおらず、毎回書店で各誌に目を通して、特集がオモシロそうな物を買っていた。
「FMレコパル」は、ミュージシャンの情報よりも、オーディオや、録音テクニックなどの「ハード」のほうに力を入れていたような気がする。コンポのおすすめランキングなどの記事も多かった。
「FM Fan」これはイチバン大人向け、というか中学生には面白い記事は少なかった(笑)。FM雑誌の中でこれだけが「左綴じ」。FM Fanの最大の特徴は、アメリカのビルボード・トップ40のチャートが掲載されていたことだ。当時はヒットチャートは結構気にしてチェックしていたので、これはありがたかった。
「週間FM」。これは結構記事も面白く、トータルバランスの良い雑誌だったように思う。ただ、それだけに正直、印象が薄い(笑)しかしわりと買っていたと思う。
「FM STATION」これは特徴のある雑誌で、ちょっと大判で「中綴じ」の雑誌であった。内容はポップなわかりやすい記事が多く、これも結構買っていた。

今回はなんだか曖昧な記憶ばかりで申しわけない。これらの雑誌の情報は検索すればどんどん出てくるのでそちらで補完してもらえればと思う。ちなみに上記の4誌はいずれも現在は刊行されていない。

最近はインターネット配信による新たなラジオの展開がすでに実用化されているが、最も安く、良い音で音楽に接することができるFMラジオという文化が廃れていかないことを願う。

次回の記事「歌詞カードはコピーいたしますか?」に続く

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【2010/02/16 21:50 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
510ブルーバードの思い出〈購入編〉
510ブルーバードの思い出〈恋慕編〉はコチラ

管理人が数ある旧車の中から「510ブルーバード」を選んだ理由は一言では言い表せないが、「イチバン好きな部分は?」と、聞かれれば即答できる。

「流れるテール」だ。

確か正式名は「ハミングシグナル」か何かだったと思うが、ターンシグナルランプ、つまり後部の方向指示器が3分割されていて、スイッチを入れると内側、真ん中、外側の順番に流れるように点滅していく、というヤツだ(510クーペの場合、リアガーニッシュが左右一体型になっていて外観上は3分割していないのでスゴくカッコいい)。
今でも、大型トラックなどで採用している車種もあるので、だれでも見たことはあるはず。当時、日産車では510ブルの他には「ローレル」もこの流れるテールを採用していた。管理人はこの流れるテールのカッコよさに、わけもなく憧れていたのだ。
モチロン、運転している本人には見えないのであるが(笑)。

さて、雑誌の広告を穴があくほど見つづけていた管理人は、ある日ついに我慢ができなくなり、510ブルーバードを購入する決心をした。
その旧車専門雑誌の広告のショップは、「全国配達OK」である。1台1台まったくコンディションの違う中古車、それもタダの中古車ではなく、もっと年代物の旧車である。自分の目で見て決めるのがベストなのだが、遠方の店ではなかなかそうもいかない。
そのショップは、希望の車の外装、内装、エンジン音などを撮影したビデオテープを参考までに送ってくれる、というサービスをやっていた。それを取り寄せ、考えた結果(どのくらい参考になったかよくはわからないが)決めることにした。

そしてついにご対面。
ちなみに、510は遠方から「自走」してくるワケではなく、ちゃんとキャリアカーに乗って来た(当然か)。以前にほかのショップなどで現車を見たりしたことはあったものの、やはり自分の車となると感激もひとしおだ。
昭和44年(1969年)式ニッサン・ブルーバード1600 SSS クーペ。SSSとは、1600ccエンジンを積むスポーツグレードに冠せられた名称だ。ウッドステアリング、ウッドシフトノブ、4速フロアシフト、メーター類、シートなど、普通のモデルとは全く違う。

現代の車と違う点。
シートベルトは腰だけの「2点式(もちろんこれで走ってよい)」。エアコンなし(当時も外付けすることはできたがエアコンではなく「クーラー」)。パワステ、パワーウィンドウなど当然なし。

ないモノばかり挙げたが、逆に今の車にはなくて、510にはあるモノもある。
それは「チョーク」だ。要するに寒冷期のエンジン始動時に、一時的に濃い燃料を燃やして暖気運転をするという、今は車が勝手にやってくれる操作を「手動」で行うわけだ。
あとは、「シンクロ」がやはり弱く、シフトアップは問題ないが、シフトダウンはダブル・クラッチを使った方が間違いがなかった。
そして燃料。「有鉛仕様」なので、給油時にはハイオクタンのガソリンを入れて、さらに「バルボーグ」という添加剤を規定量入れなくてはいけない(エンジンに手を入れて無鉛仕様にしている旧車も多い。さらにチョークを「オートチョーク」に改造もできる)。

今の車と違う「儀式」めいたモノは上記くらいだ。

日産初の「四輪独立懸架」による乗り心地は、現代の車と比べても素晴らしかった。冬期には死活問題となる「ヒーター」も良く効く。そしてなにより、現代の車と比較しての際立った特徴は、「小ささ」「軽さ」。まさに、今の車からは失われてしまったものがあった。

この車は、諸事情により長い期間所有することはできなかったが、「510ブルーバード」は高度成長期に明日への希望とともに躍進していった時期の国産車の中でも、ひときわ輝く名車だと思っている。

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【2010/02/15 21:45 】 | 未選択 | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
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